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盲亀浮木。

2025/6/25

今日は朝からぐずついた天気となりました。こんな日は気持ちもなかなか乗らないものです(涙)きっと生徒たちも同じような気持ちなんだろうな……と出勤中の車内で考えながら一日が始まりました。学校に到着していつものように校内を散歩していると、始業よりも1時間以上早い時間にも関わらず、自習室は8割方の席が埋まっていました。来週からの期末考査には万全の準備で臨んで欲しいと思っています。

気持ちが乗らないときには、今この場所にいられることがどれほど「有難いこと」なのかを考えるようにしています。

  今日という日を迎えられて有難い。
  仕事ができることが有難い。
  健康でいることが有難い。
  今日も生徒たちと会えて有難い。

さまざまな「有難いこと」が重なり、今この場所にいられることを思うと、下を向いてなんていられません。世界に目を向ければ平和を脅かされるような残念な出来事が続いています。武力で解決を図ることがどれほどの悲劇を生み出すのか。失われた尊い生命を思うと、如何に今の自分が幸せなのかに改めて気づかされます。世界中の人たちが一日も早く平和を取り戻し、安心して生活ができることをただただ願うばかりです。

有難いと言えば、人間に生まれたことがどれほど奇跡的なことかを教えてくれる話があります。お釈迦様の説かれた「盲亀浮木のたとえ」がそのことを教えてくれます。その話は次のようなものです。

ある時、お釈迦さまが阿難(あなん)というお弟子に、

「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」

と尋ねられました。

「大変喜んでおります」

と阿難が答えると、お釈迦さまは盲亀浮木の譬えをお話しなさっています。
 
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その目の見えない亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」

聞かれた阿難は驚いて、

「お釈迦さま、そんなことはとても考えられません」

と答えると、

「絶対にないと言い切れるか」。

お釈迦さまが念を押される。

「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」

と阿難が答えると、

「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」

と教えられています。

この話を思い出すたびに、人間として生を受けたことが如何に有難いことなのかを痛感させられます。このことに改めて感謝をしながら、これからも毎日を過ごしていきたいと思います。
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