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始動。

2026/4/6

4月6日、今日から令和8年度の始まりです。
今年度から2学期制となることから、前期始業式として始まりました。
週末の荒天もあり、桜の花はやや見頃を過ぎつつありましたが、温かな陽気もあり穏やかな始動初日となりました。
玄関前に掲示された新クラス発表をながめる姿はさまざまでした。
新しいクラス、新しい担任、新しいクラスメイト……。
気心の知れた特定の仲間と過ごす時間も大切ですが、心機一転、新たな人間関係の中から生まれる化学反応は楽しみでもあります。

始業式に臨む生徒たちの表情は、心なしかみんな生き生きとしているように感じました。
明日の入学式までは、少しだけ体育館には空間が空いていますが、明日には新たな仲間を迎えることとなります。
新しい……というと、今年も多くの新任の先生方をお迎えしました。
大学を卒業したばかりの先生もいれば、他校での経験豊富な先生方もたくさん着任されました。
個性豊かな先生方と一緒に、さらに本校が盛り上がっていくことを楽しみにしています。
式辞では生徒たちが今直面しているであろう心配事について、関連した話をしました。
それは、クラス替えによって生じる「友だち」についてです。
生徒たちにとって、一番心配なことは新たな人間関係=友人関係をどう築くかという問題です。
同世代の娘を持つ父親として、娘にとって新生活での最大の心配事が「友人関係」であることを知っていたからです。
そのため私が考える「友だち」について、普段から感じていることを話させてもらいました。

高校時代の友だちは一生の友だち

昔からよく言われることですが、果たしてそれは本当なのでしょうか。
私には、今も付き合いのある高校時代の友だちは「たった一人」しかいません。
それも年中会っているわけではなく、会いたいときや話したいときに連絡をする程度の仲です。
それでも職種が全く異なることもあり、私にとってはとても貴重な大切な友だちです。
仕事につながる情報をもらうことも多々あり、ある種のアドバイザー的な存在でもあります。
そんな高校時代からの友だちが「一人」しかいないことを、淋しいと思ったことも悲しいと思ったこともありません。
私が考える「友だち」とは、次のような存在です。

①一緒にいて楽しくて、笑顔になれる、元気になれる存在。
②一緒にいる時にひと言も話をしなくても、全く気を遣わずない存在。

これが私にとっての「友だち」です。
友だちの定義は人それぞれだと思うので、私の考えを押し付けるつもりは毛頭ありません。
ただ、その人と付き合うために無理をして気を遣うことや、望んでもいないことに付き合うことは必要ないと思うのです。
それが本当の意味での「友だち」かというと、私はそうでないように感じてしまいます。
誰かと一緒にいることには安心感が伴います。
ひとりでいるよりも、誰かといる方が孤独感を感じないで済むかもしれません。
でも、本当の意味で楽しいか、笑顔になれるか、会話がなくても居心地がいいのかというとどうでしょうか。

そんな話をしながら、「孤独」と「孤高」の違いについて話をしました。
「孤独」とは、自分の気持ちの状態、淋しさを伴うことが多いものです。
「孤高」とは、自分の意思でひとりを選んでいる状態、周りに流されず、自分の価値観や目標を大切していることです。
漢字一文字の違いですが、その状態は大きく異なるのです。
年度初めで人間関係のトラブルが起きやすいタイミングだからこそ、「孤高」を恐れず、ひとりでいることにも大きな意味があることを伝えました。
もしもこの言葉で救われる生徒がいたら、勇気をもって「孤高」の道を選んでもいいのではないかなと思うのですが。

BE SHOHEI
今年度もよろしくお願いします!

孤独と孤高の違いとは?岡本太郎に学ぶ、ひとりビジネスの戦い方 ...

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