2026/9/24
今週も今日が最後の授業です。
来週から始まる前期期末考査に向けて、朝早くから自習室も大にぎわいです。
週末、万全の準備を整えて試験に臨んで欲しいと思います。
ところで、皆さんには、「友達」と呼べる人が何人くらいいますか?
そもそも「友達」とは、どのような存在の人を言うのでしょうか。
ごくごく日常的に使っている「友達」ですが、その意味をいくつかの辞書で調べてみました。
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。
一緒に遊んだり話したりする親しい人。
志や行動などを一緒にして、いつも親しく交わっている人々。
親しく交わる相手。
仲のよい知人。
「親しく交わる」という意味で言えば、私にもたくさんの「友達」がいます。
年令も関係ないということであれば、先輩から後輩、年長者から年下まで、交流をしている「友達」は少ない方ではないと思います。
ただ、「互いに心を許し合っている」かというと、それはまた別の話になってしまいます。
食事をしたり、おしゃべりをしたりして、一緒に時間を過ごすことが楽しく心地いい関係にある人であっても、心を許すことができるというわけではありません。
そういう意味での「友達」となると、私には「友達」がほとんどいないのかもしれません。
何かに悩んだり、苦しんだりしているときに、その全てを誰かに話したりするような存在の人は、正直ひとりもいません。
それを「可哀そう」「気の毒」と感じる人もいるかもしれませんが、仕方がないですね……。
そうした存在の「友達」がたくさんいる人を羨ましく思うこともありますが、特段困っているわけではないのであまり気にしていません。
「高校時代の友達は、一生の友達」ということはよく言われます。
逆に言えば、「高校時代にはそういう友達を作らなければいけない」とプレッシャーを感じている人もいるかもしれません。
そういう私はどうなのか?
私が今でも付き合いのある友達は、たったのひとりです。
しかも高校時代には、それほど深い付き合いがあったわけではありません。
たまたまご縁があって再会したことをきっかけに、アドバイスをもらったり、仕事の相談をするようになりました。
決して頻繁に会ったりする仲ではありませんが、困ったときにはとても頼りになる存在です。
友達は多ければ多い方がいい、という人もいます。
そうした考えの人が多いのかもしれません。
ただ、私は自分を抑えてまで無理して付き合う友達なら、いない方がよっぽど気楽なのではないかなと考えてしまいます。
LINEやSNSでつながっている関係を「友達」と呼ぶことに、私は抵抗感を感じてしまいます。
そこだけに縛られてしまうと、自分が自分らしくいられなくなってしまうことが心配です。
中高生年代の思春期は、特にそうした「友達」を意識してしまうのかもしれませんが、一度立ち止まって見てもいいかもしれませんね。
BE SHOHEI
明日もいい日になりますように。


